社会主義と個人 笠原清志

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旧体制の擁護的な意見が多いかもしれません。個人からすると旧体制のほうが良かったということなのでしょうか。最終的にはどちらも良くなかったってことだとは思うのですが。


少なくともユーゴでの旧体制崩壊後には、西側に翻弄され、経済的困窮と民族紛争が起こった。"チトーの時代は良かった"って意見が多い。


ソ連の支配から抜け出して自己管理社会主義をとったユーゴの結末の大元は、ナチス対抗へのパルチザン闘争の英雄的市民の威厳による政治的・市民的構造の崩壊だったような気がする。



ポーランドでは、旧体制からの脱出を演じた労組連帯。議長ワレサ。自分が知ってたワレサは英雄で生きてたらEU大統領候補になっていたってくらいの人物。でも、チェコのバーツラフとかとは違うようだ。一労働者であって大した政治的能力を持っていなかった。共産主義体制を崩壊させた波を作ったが、その後は新たな権力主義=半民主主義派として台頭して旧共産主義派の権力者を引き摺り下ろすことになり、民主主義はワレサを選ばなくなっていく。

  • 経済的困窮以上に彼を苦しめていたのは、アイデンティティ・クライシスのようなものであったのではないだろうか。働きたくても働けない、社会的に排除され役割すら与えられないまま経済的困窮だけが迫ってくる。
  • アメリカは、バルカンの歴史的経緯や複雑さを十分に理解しないまま単純や理念や善意からこの地の政治プロセスに介入した。それに伴う各共和国の思惑と動揺、スロヴェニアクロアチアの生き残りをかけた外交工作に呼応したオーストリアやドイツの観念的な政治判断が、ユーゴスラヴィアの本格的な内戦と悲劇を準備していった。
  • ベオグラードを何回か訪問する機会はあったが、かつての明るさは消えうせ、欧米の経済制裁によって疲弊した。どうしようもない現実がそこにあった。そこには西ヨーロッパの都市にないやさしさや怠惰が混在していた。
  • 経験から言えるのは宗教でも、価値観でも一つだけを真じるのはやめた方が良い。
  • 社会主義経済の真の危機は、初期の産業化が終了し、その社会・経済システムが効率化へ向かっての大きな転換が要求される段階に顕在化してくる。社会主義におけるラディカルな平等主義や集団主義の下では、組織におけるローテーション原理や報酬における平等主義原理が設定されやすくなるからである。
  • 共産党を妥当したワレサや連帯運動の歴史的意義は、評価してもしきれないほどだ。しかし、日本ではワレサを偶像視し「労組連帯」が美化されすぎてはいないだろうか。
  • 連帯運動とは共産党に反対する多様な社会的階層の運動体であり、ワレサ率いる「労組連帯」その一部にすぎない。「連帯は」伝統的な反体制運動を担ってきたクーロンやミフクニのグループ、マゾビエツキらのカソリック系の知識人や文化人グループ、伝統的な右派ナショナリスト、「農民連帯」などの多様なグループとイデオロギーによって支えられていた。
  • ワレサと「連帯」は正義、共産党や先住者は空くと決め付けられてきた。しかし、ポーランド国民は民主的な大統領選挙で、ワレサではなく旧共産党のクワシニェフスキを選んだのだった。
  • ポーランドの人々にとっては、カトリックに帰依して宗教的教義と伝統を守ることが、自らの歴史と文化を守り、ヨーロッパ社会の一員であることを確認していくことでもあった。
  • 市民社会や反体制側の成熟度が、共産党による武力や権力の行使を自生させ、それに対応すべく共産党の側にも自らを改革するモメントが生まれた。
  • クーロンやミフニクら労働者擁護委員会のリーダーたちは、直接的な政治革命よりも社会的自立を目指す戦略を提唱していた。

社会主義と個人 ―ユーゴとポーランドから (集英社新書)

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