ジュルファ国境越え
2010/02/10(Wed)
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さて、このイラン⇒アゼルバイジャンの国境がいみじくも今回の旅の中で一番思い出に残ることになってしまいました。
単に、国境で3時間足止めをくっただけだけなのですが、紛争してる国の間の事情というのを体感出来たってことが、貴重なものだったのだと思います。
このナフチュバンというのは、アゼルバイジャンの飛び地で犬猿の仲であるアルメニアが間にあるため、本国とは空路のみでつながっている世界の中でも希少な地域なのです。
そもそもは、ソ連がムスリム対策でアルメニアとトルコとを接しさせたくなかったってところから飛び地の運命が始まり、ソ連崩壊後、アルメニアとアゼルバイジャンの紛争で完全に陸の孤島となった地域です。
ロシアの外交カードとして隣国とのパワーバランスをとる重要な地域で、この辺りの国の利害関係を調べえると非常に面白いところでもあります。
そういった地域だからこそ何か変わった体験が出来るんじゃないか?と思って、イランから直でトルコに抜けず、わざわざ苦労してアゼルビザを取って入国するこっとにしたのです。
まず、イラン側国境はノーチェックですんなり通過。
ところが、アゼルバイジャン側で捕まってしまう。
査証窓口では、人だかり。ここは並ぶという概念がないらしく受付は割り込んだもの勝ちの状態です。無理やり突っ込んでいくと日本人に気付いたらしく、パスポートを優先的に受け取ってもらえました。
ここまでは良かった。
すぐに、返してくれるものだと思っていたのに、なかなか返してもらえず・・・15分くらい待たされて、質問攻めが始める。
アルメニアの入国記録が悪いことはすぐにわかったのだけど、いちゃんもん付けられるくらいですぐに開放されると高を括っていたのです。
最初のおっちゃんは、あまり英語が出来ず話しが進まなかったけど、若いひとが出てきて荷物検査です。
荷物を全部ひっくり返され、一つひとつ質問。アルメニアに関わるものは全て没収らしい。大したものを持っていなかったから、良かったんだけど、問題は写真にあった。もしものために、アルメニア分の写真だけはメディアを首下げに隠しておいたのだ。
イランからメールで日本に送ったと言い訳をしたものの、これがバレないかが一番の緊張でした。
係員は、入れ替わり段々偉い人が順々に出てきて、同じ荷物検査と質問を繰り返される。さすがに、緊張している分も相まって疲れます。
「仕事は?」「アルメニアの何処に何をしに行った?」「入国の目的は?」「この後の予定は?」「ロシア語がしゃべれないのに?」「宗教は?」
取調べは、至って親切で友好的に行われました。日本人というのがアドバンテージになっていることは間違いありません。
綺麗な女性係員は、アルメニアとの紛争についてゆっくり話してくれました。あなたが悪いわけじゃないのよ、仕方ないことなのよ、という感じのテンションでした。
最後は、ボスだという私服の偉いひとが出てきて、没収するものの確認です。
結局、アルメニア関係のものは全部没収。お土産、お金、ロンプラなど。旅行人は日本語が読めないからなのか無事。ロンプラは、アルメニアの部分だけ切り取ると言ったんだけど駄目でした。
何処かの掲示板でロンプラを取り上げられたって記事は見ていたのだけど、ここまで厳しいとは思いませんでした。
ただ、写真だけは見つからず、ほっとしました。
この後、ボスはお腹が空いただろうということで、食堂で食事を奢ってくれました。ピラフだったんだけど、これは美味かった。ウォッカも飲むか?と言われたけど、さすがに遠慮です。
「アメリカは長崎と広島に原爆を落としたんだろ?どう思う?」なんて訊いてくるところ、反米感情が結構高い感じでした。
12時過ぎ頃、国境に着いたのに、開放されたのは15時過ぎ。
どっと疲れが出た国境越えでしたよ。