キルギットからイスラマバードへ
2011.10.18(Tue)~19(Wed)
カラコルムハイウェイ。
フンジュラーフ峠越えに加え、このイスラマバードまでのKKHも長年通ってみたい道の一つで、かつ絶対に行けない場所だろうな、と思い続けてきた道でした。
休暇、時間的な問題をクリア出来そうな感じになったと思ったら、洪水やら治安悪化やらで行きにくくなってしまったパキスタン。そこに今来ていると思うと、なんとも言えない震えが込み上げてきます。
suzuki.パキスタンの移動手段と言えばこれ。
ただ、予想した通り、今まで旅をしてきた中で一番長く、ハードな移動となりました。
時間的には24時間なのでそれほど大がかりというわけではないのですが、ぼろバスと悪路が重なって疲労感は倍増でした。
キルギットでリベリアホテルを出たのが10:00過ぎ。
バススタンドまではタクシーで15分ほど150Rs。
大型バスばかり
バススタンド
昨日は午後だったためかガラガラだったバススタンドは、大型バスやらミニバンでいっぱいだった。
こんな辺境にこれだけのバスがあるというだけでも驚きです。
本当は、フンザをもっと早く切り上げて、スカルドゥとかにも行ってみたかったけど、もし帰れなかったことを考えて諦めた経緯もあったけど、交通網は結構あるっぽいので早めの行動をすれば、バスがなくなるようなことはなさそうでした。
こんなんでこのバスに勧誘された。
中古のバスを買って自分で会社起てたっぽい。
まず、この移動で失敗したのがバスの選定。
翌日の夜の便で帰国するので、出来る限り早めにイスラマバードへ着いておきたかった。
洪水以降、道が悪いらしく崖崩れは日常茶飯事とのことで、18時間あれば昔は大丈夫だったらしいが、30時間以上掛かることもめずらしくないとの話を聞いていたので、帰り道はシビアだった。
大型バスだと遅いし、崖崩れのときに対応しにくい気がして小型バスを選択してしまったのが間違い。
SanmiDaewooの大型バスが結果的には正解なんです。
今回乗ったのは1600Rs(1400円)と大型バスより安いものの、それほど変わらない感じ。
自分が乗った20年以上前の日本の送迎バスは、何故かそれほどスピードも出さず、のんびりペースの運転だったのです。
他の大型バスは激走という感じで飛ばしまくり、自分らより3時間は早く着いていたと思う。
バススタンドのレストランでピラフ
日本の送迎バスの中古車です。
12:00発と聞いていたのに、出発は14:00過ぎ。
他の大型バスは皆13:00前に出発。結局、途中で一緒になるのですがこの待ち時間が微妙に疲れるんです。
ジャグロットの目抜き通り
トイレ休憩
これに20人以上乗るんだもの、きつきつ
キルギットを出ると、すぐに未舗装になり座っているだけでも力が入るガタゴト道です。
16:00頃、ジャグロットという街で休憩。
ここを出ると、切り立った崖の真ん中を走るようになり、幅もバス1台分しかない道が多くなる。
崖崩れした場所が頻繁に出てきたり、運ちゃんが一歩間違えばすぐに崖の下に転落するようなかなり危険な場所の連続です。
スピードを出されちゃうと、ヒヤヒヤもの。ぎりぎりですれ違う時なんかは、マジでやめてくれと叫びたくなるくらいの恐怖感がありました。
ジェットコースターは安全だっていう頭があるから良いけれど、安全の保障のないこのバス移動は始終緊張の連続です。
バスの運ちゃんに命を託すことが出来ない人は無理。
幸い、ロシア圏の運ちゃんみたいにおちゃらけで運転していないので必死さはこっちにも伝わってくる運転です。
17:00頃に3大山脈のジャンクションポイントを通る。
K2やらナンガパルバットが遠くに見える。フンザと違って標高が低い分、山頂はかなり遠くに高く見えます。
あぁ、もうこの景色とはお別れか・・・と感じるとともに、目の前にある光景とこのミニバス移動のローカル感に、異世界に居るような感覚に陥るのでした。
ライコット橋を越えたところ
夕陽が落ちる頃、ライコット橋を通り、草原の一本道になったかと思うと、19:00頃チラース着です。
ここで先行していた大型バス群に追い付く。でかいドライブインみたいな食堂で、キーマカレー+ナン150Rs.
この街も電気が来ていないらしく、自家発電の灯りだけで場末感たっぷりの野戦食堂みたいな雰囲気でした。
チラースの食堂
20:00頃発。ここでチェックポイントがあり、バスは皆ここで足並みを揃えてから進めるようになっているらしかった。
この先、数回チェックポイントがあり、外国人だけ降ろされて、パスポートのチェックがあった。
10台くらいのバスに外国人は3人らしい。
真っ暗な道をひた進む。
リクライニングもしなく、激狭の固い椅子で絶対に寝れないだろうなと思ったのに、意外に寝れるもので、熟睡は出来なかったけれど、始終眠気に襲われて寝ていたと思う。
0:00頃再び渓谷沿いを走るようになる。
崖の下には結構流れのある川があり、小さな街の灯りが点々とする。
月の灯りが山々の陰影を映して、幻想的な雰囲気です。
こんな夜中でも車はかなり走っていて、ぎりぎりの道をすれ違うたびにドキドキします。デコトラが多いのかな。
5:00を過ぎると明るくなり、標高は低いものの避暑地といった感じの山道が増えて、8:00にマンセラ着。
ここまで来ると、街も大きくなり人込みと渋滞が増える。
朝食は、ドライブインみたいなところで、ダールカレー+ナン+チャイ50Rs(40円)
マンセラの食堂
マンセラの街角
ここからは渋滞でペースが鈍る。
大型バスは、夜中にタイヤの修理をしていた間にかなり先に行ってしまったようだった。
のどかな一本道だったり、街に入ったりの繰り返し。
ここまで来れば、夕方までにはイスラマバートへ着くのがわかったので気持ちものんびりモードに入る。
油で焼くナン
ラーワルピンディに入ったのは12:00頃。
丸24時間掛かったことになる。この座り心地の最悪なバスでよくもったなという感じがしたけど、思ったより平気だったというのが実感。
ラワールピンディのバススタンド
車だらけのクラクションだらけのごったな街に来るとアジアだな~と思う。
とにかく人が多い。東京なんか目じゃない。
バスは、でかいターミナルではなくて街中のガソリンスタンドみたいなところに到着する。
とりあえず、体を休めたかったのですぐにタクシーに乗り、200Rs(180円)で休憩するためにホテルへ。
ベトナムを思い出す人込みと乗り物の嵐
長い移動だったけど、もう旅は終点に差し掛かった。
この街の熱気が、まだ旅を終わらせてくれていないけれど、今夜の飛行機に乗ればもう日本。
まさか、数か月前にビンラディンが殺された街を通って、何時テロが起きるかもしれないイスラマバードに来れるとは思っていなかった。
来てみれば、案の定というか自分が動き回る範囲でテロが起きることは限りなく0に近いのだけど、0ではない街に多少の緊張を持ちつつも、来ちゃったよぉ~という興奮が暫し続きました。
カラコルムハイウェイ走破。
この響きの余韻は1年経った今もまだ残り続けている。